ずっと名前は気になっていて、でもまさか自分がアル中の入口にあることを自覚しながら最近になっていよいよ酒を減らさざるを得ない状況になって初めて、広島の蔦屋書店の平台で思わず目に止まって購入してしまった。
そこから読み始めて止まらず、キラーフレーズ、共感しかない症状や感覚、言語の連発で一気読了してしまった。
アルコール中毒自体は他のドラッグ中毒と本質的には変わらず、至極人間の精神的な営みの中で一部の人間が陥る?いや経験する一つの病。
と言ってしまえばそれまでだが、過ぎていく時間や、変わっていく人間関係の中で抽象的な安定性を掴もうとして、身体の方をブラせる、「膜」をかぶせて、その現実から逃避しようとする。
自分で酒も作って勉強して披露してネタにして体面だけ整えて、でも中身はただその人生に対する空虚さ、偶像を埋めるためだけの具象としての酒だった。
破滅的、退廃的、逃避的、もしくは狂気的。PUNKS。MADNESS。
自分もなぜか小さい時からそういう存在や感覚に憧れにも似た思いを抱いてきて、ビートや60、70年代のアーティスト、ヒッピーカルチャーや野村訓一に憧れ、旅をし、酒を飲み、本を読み、音楽やアートを愛し、たまたま27歳の時に訪れたカートコバーンやジミヘンドリクスの墓所を前に、西海岸の旅の最後で、それまでの自分の人生に対してやるせなさを感じていた。
そしてその後10年経って、結局中途半端な中島らものような、それでいて同じような場所に辿り着いてしまった。
そういう狂気や異常さみたいなものがどんどんと情報の洪水の中で埋もれていって、内在的に抱えているような人間の表現が、薄まっていく。
その中で中島らものような、現代にはもはや生まれないようなアーティストの文章を読むことで、その浸透圧を調整できる気持ちにもなる。
狂気、退廃、マイノリティー。
今年に入って自分のルーツを辿るような作品に会えることが多くて、次の10年を進んでいく良いきっかけになっている。
次の10年を作っていくという抽象的な意志やイメージが出ていきている。
そう、酒を抜くことで。
「飲むことと飲まないことは、抽象と具象との闘いになるのだ。抽象を選んで具象や現実を制するには、一種の狂気が必要となる。」